アモイ市街を背に
 <コロンス島よりアモイ市街を背に。意外と都会なのに驚きました。>

 私の中国旅行は返還された香港をを除いても、もう25回位になるだろうか。最初に中国を訪れたのは昭和60年、桂林への旅であった。この頃は中国も解放区、すなわち外国人の立入りを許す地域と、立入禁止の地区があり、この桂林もどこかのテレビ番組の特番で放送されたのを見て機会があればと考えていた。

 たまたまJTBのツアーで香港経由広州・桂林の企画があり、何人かのお客様に声を掛けてみた。当時はまだ中国旅行が大衆化されてなく、20名ほどのお客様が応募された。それではとこのツアーを買取り、旅行団を組織するに至ったが、私にとって最初の中国旅行の添乗の旅となった。この珍道中については機会があれば御報告したいと思っているが、今回は開放都市アモイについて述べることにしよう。

現在のアモイ市街

現在のアモイ市街▲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

T.国際都市アモイと土楼

 

 

 

 アモイについては年間何名か商用の為、航空券やホテル、中国ビザの手続きのお世話をさせて頂いていたが、私自身は一度も訪問したことがなかった。何故かというと、各社のパンフレットにもアモイのツアーが出ているが、ほとんどといってもいいほど中身はフリータイムとなっており、観光らしいものは半日観光のコロンス島位のものであった。その為お客様をアモイにご案内するに、何の魅力も感じることがなかった。ところが華僑の故郷でもある福建省に客家(ハッカ)土楼があることを思い出し、アモイから行けないかどうか調べてみた。客家(ハッカ)とは福建省より外国へ出稼ぎに行く華僑の通称名で、福建省の西部の出身者のことである。

客家は4世紀の初めに中原から南下移動してきた漢民族の子孫たちで、異民族から身を守るために砦と住居をかねた土楼(囲屋)を建てたのである。これは一種の城の様な砦であり、敵の攻撃を受けても2ヶ月程度は持ちこたえることができる規模になっている。形は方形(四角)と円形の2種類がある。方形土楼の多い福建省永定県には、現在最古にして最大の円形土楼が残っているが、アモイからだと移動に5〜6時間かかり、1泊しなければ見ることができず、日帰りが可能な南靖県の土楼を見学する計画を立てた。又、現在はアモイ〜泉州間に高速道路も開通しているので、「海のシルクロード・厦門・泉州を訪ねて」のタイトルにし、泉州観光を取り入れた。

胡里山砲台

    ▲胡里山砲台:全長14mの大砲他10台ほどの砲台がある。上記の大砲はドイツより当時銀5万両にて購入された。射程距離は6.5kmだという。

U.貿易の中心都市アモイとコロンス島

 

 

 アモイは福建省第2の都市で、「海上の楽園」と呼ばれ、亜熱帯の気候のもと、中国沿岸経済特区として外国資本を取り入れ、飛躍的な発展を遂げている。実際に現地に行ってみると高層ビルが立ち並び、生活する人々の服装を見ても他の中国の都市と比べると垢抜けている。我々はセントラルホテル(厦門京閠中心飯店)に宿泊したのだが、ちょうど旧正月(2月11日)から10日も経っていないので、ホテルの中も街中もまだ正月の飾りつけが残されていた。

    コロンス島の玄関口である港。ピアノの形をしている。著名なピアニストも輩出している島なのだ。▼

コロンス島の港

 市内の観光地としては唐代の創建といわれる南普陀寺や、海の守りとして清代に設けられた胡里山砲台跡などが挙げられるが、何よりアモイを有名にしたのは海に浮かぶコロンス島であろう。コロンス島はアモイの沖700mにある小島だが、戦争前は外国の共同租界が置かれ、別荘地として栄えた。現在でも当時の面影が多く残され、細い路地を歩いているとピアノを奏でる家などもあり、何となく南欧の雰囲気を残しているように感じられた。

またこの島には日本でもおなじみの国戦爺合戦で有名な、日本人の母を持つ鄭成功大きな石像が立っている。この石像の立つ庭園の周りには、孔雀を放った庭園やシンガポールのセントーサ島にある海底トンネルがオープンし人気を集めていた。小さな島ながら、街角には海産物を商う商店が並び、賑わいをなしていて、1日島に滞在しても楽しめるのが良い。(その2に続く)

鄭成功の石像:高い岩の上に見下ろすように立っている。>>

鄭成功の石像

 

 

 

 

 


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