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-その2- |
V.変わった建造物(?)客家土楼 |
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アモイより新しく建設された橋を渡り、樟州市へ約1時間ほどで到着できる。ここより南靖県に行くのであるが、途中は広大なバナナ園が広がり道の両側には多くの出店が並んでいる。樟州は中国のバナナの産地であり、まだ青いものから熟したものまで軒先につるし、お客を待っている。 |
▲どの店先もバナナ、バナナであった。 |
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とても大きいので丘の上から撮影したが、それでも収まりきらないほどだった。▼ |
この方形土楼は30m四方の大きさで、3階建てとなっており約20の家族が暮らしているとの事であった。外形は漆喰で塗り固められ、ちょっとした砦の形を成し確かに守るのに適した形をしている。もう少し奥地へ入るとやや大きい円形土楼があり、直径30〜40mはあるであろうか、とにかく大きかった。周りには半円形の土楼が二重に建てられ、約50世帯の家族が暮らしている。円形土楼の中心には鳥小屋が置かれ、鶏がのんびりと遊んでいた。訪問するとここの代表の村長が建物の中を案内してくれた。 |
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建物自体はまだ数十年と新しいが、これを維持修理して保存していくのは大変だということだ。我々の訪問を見て何家族からもお茶の接待を受け、なかには小さな子どもまでお茶を入れ、お茶菓子まで我々に勧めてくれた。お礼にとそれぞれの家族との記念写真を撮り、日本より送る約束をして別れた。このさらに奥地にも数々の土楼があるらしいが、日帰りの日程なので引き返すことにした。このような建物もいつまで維持できるのか。中国の近代化を考えると、次はどうなっているのか考えさせられた。 |
▲円形土楼の内部はかなり広い。 |
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W.マルコポーロも訪れた泉州 |
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かなり遠くからでないと全体が撮影できないほど高い東西双塔▼ |
泉州へは集美地区を経て、高速道路で約2時間ほどの距離である。かつて泉州は海のシルクロードとして栄え、あのマルコポーロの「東方見聞録」ではエジプトのアレクサンドリア港と比較して、”世界2大貿易港”と評されていた。現在、当時をしのぶには博物館の展示を見れば納得がゆく。博物館には海底より発見された船の展示や、海のシルクロードの世界に向けた発展ぶりが一目でわかるようになっている。また、福建4大名刹のひとつである開元寺にはシンボルとなっている東西双塔があり、石造建築の傑作と名高い。この双塔は東塔48m、西塔44mと泉州の市街より異様を放っている。もともと開元寺は、唐の時代に玄宗皇帝の命により創建された全国でも数少ない現存する寺院となっている。 |
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清源山の麓には、山肌に沿い数多くの石刻がみられるが、中でも老君岩座像は中国で最も大きな道教の石像として有名である。多くの観光客はこの像をバックに写真を撮っていたが、我々もこの例に習い、盛んにシャッターを押した。これより山道をたどるとそこかしこに「佛」などの石刻が見られ、この字句を巡りながらいかにこの泉州の繁栄が大きかったかを深く感じた。 |
▲この像の鼻に触ると縁起がよく、120歳まで長生きできるそうだ。”いかにも”のお顔である。 |
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X.おわりに |
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アモイにはアモイ大学という立派な大学がある。この学校は華僑が私財をなげうって故郷に学校を建てたのであるが、大きなキャンパスに、日本でもお目にかかれないほどの建物が立ち並び、数千人の学生が学んでいるということである。ことわざに「故郷に錦を飾る」という言い回しがあるが、まさにこの事ではないだろうか。自分が成功したことで、自分の生まれ育った故郷に全財産を投げ出し、子孫に尽くすということは、日本ではもう死語になっている。中国には脈々と民族の絆が生きていると感じられ、私にはうらやましくもあった。(終わり) |
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