Ⅴ.いよいよゴールデントライアングルへ

 

 ゴールデントライアングルとは何とも神々しい名前がついているが、以前は麻薬の大生産地として、それこそ全世界から注目されていた場所である。メーサロンには中国国民党が第二次世界大戦に敗れタイ領内に逃れてきており、長い間タイ政府でさえ、足を踏み入れることができなかった。 今回はまず、チェンマイよりゴールデントライアングルの行動拠点・チェンライへは車で移動となった。途中で休憩するドライブイン(?)には、温泉が湧き出ており、日本と同じようにうずらの卵などを湯につけて温泉卵にして売っていた。しかし湯は近くの川に垂れ流しにしており、日本であれば一大温泉地になるのにと、妙に感心させられた。

ミャンマーとタイの国境:これはタイ側の出国口。実際は現地人は自由に出入りしている。↓

ミャンマーとタイの国境

そして、いよいよ今回最後のハイライト、1日で3ヶ国めぐり、すなわちタイ・ミャンマー・ラオスを訪れることになった。朝食後、一路ミャンマーとの国境の町メーセンに向かったが、アジアハイウェーの4車線の立派な道を快調に進み、約1時間で着いた。早速、タイ側のイミグレーションにてパスポートとコピーを提出し、徒歩にてミャンマーのタチレクへ渡った。

 国境といっても川幅は約10mほどで、外国人以外の両国民は自由に通行できるとの事であった。
 ミャンマーにて、一人につき入国税5USドルを支払い入国することができた。ただ、我々は国境より5km以内しか移動できないため、三輪車のトクトクをチャーターし、列をなし観光することになった。まず、黄金の輝く大きなバゴダを訪れたが、ここよりミャンマーとタイとの国境が一望に見渡せた。

    国境

     国境となる川:左がミャンマー側

並んで座っている姿はインパクトがある↓

 運転手より最近首長族の村ができたので見に行かないかと誘われ、メーホーソンしか見られないのにありがたいと、早速見に行くことになった。村は郊外の山の中腹に作られ、一人120バーツ支払い入場した。整備された小屋には首に輪をはめた老婆達が並んで談話をしていた。

 何人かの若い女性を見つけ、それぞれに写真を撮り、身振り手振りで話し合った。首輪は真鍮で作られており、ある程度はやわらかく手で曲げられるが、結構重く大変だろうなと同情してしまったが、これもこの村の習慣であれば何でもないのだろうか。この村には30分ほど滞在したが、観光客は私たち以外には誰も見なかった。帰るときドイツ人の2組の夫婦が来たが、入場料がいると知り手を振り帰ってしまった。ここまで来てとドイツ人の気性を垣間見た気がした。         首長族の女性達と→

首長族の女性たちと

 タチレクの町に戻り市場での自由行動となったが、市場は活気にあふれ各種イミテーション物が売られていた。特にCDなどの海賊版を売る店が軒を連ねていた。帰りはやはり徒歩でタイ側に渡り、パスポートを返してもらって昼食となった。国境に接するメーサイの最大のホテルでは、多くの欧米人たちが昼食をとっていたが、何故か、日本人のグループはほとんど見かけなかった。同じ少数民族を訪れる旅でも、欧米人はシーサンパンナよりゴールデントライアングルの方を選び、チェンマイ、チェンライに来合わせていた。

 午後、メコン川沿いに3ヶ国が接するチェンセンに着き、川岸よりミャンマー、ラオスの国々を眺め、島国の日本では想像つかない不思議な光景に見入った。チェンセンでバスを降り、舟をチャーターしてメコン川のクルーズとラオス訪問に出発した。大河メコン川はゆるゆると流れ、船上よりあらためて3ヶ国を眺めた。ラオス領だがビザなしで渡れるメコン川に浮かぶ島に上陸し、一人20バーツ入国官に支払った。島は観光客用に開発されたもので、何軒かの土産物屋が営業していた。また、それぞれにラオス国旗の前で記念写真を撮り、再び船に乗ってチェンセンの船着場に戻った。

船上にて
船上にて 

 チェンセンで古寺を訪ね、チェンライに戻り、この日の観光旅程を終えることになった。この日は旅行最後の日ということで、みんなでチェンライのナイトバザールへ出かけた。我々が泊まったリトルダックホテルは市の中心から少々離れており、テンソウ(トラック)に分乗して出かけならなければならなかった。チェンライのナイトバザールは、あのタイ最初の宿泊地チェンマイに比べると規模は格段に小さいがチェンマイほど観光化されていないので、一見の価値があると思う。楽しい夜を過ごし、明朝のチェンライよりバンコク、関西空港へと帰国を待つのみとなった。  (終わり)

 

 

 

 

 

 

 


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