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その29>>南の風はフェロモンの香り

 東南アジア最大の島ボルネオは世界でも3番目に大きく、世界最大の花ラフレシアやオラウータンでよく知られている。この島はインドネシアとマレーシア・石油で潤うブルネイと3ケ国で構成され、東南アジア最高峰のキナバル山をいただく。このマレーシアの北東端にサンダカンという町があるが、これを聞いておやと思われる方は相当の年配者である。この町は戦前イギリスの植民地であったが、日本軍が奪い南方貿易の中心地となった。山崎朋子著『サンダカン八番娼館』で有名になった「からゆきさん」(娼婦)が活躍した町でもある。さて、現在では「じゃぱゆきさん」として東南アジアや南アメリカ各地から、多くの女性が日本に出稼ぎに訪れている。しかし彼女達は風俗関係に勤務するため、日本政府も世界的な批判もあり入国の規制強化に乗り出した。
 さて、これからの話は東南アジアの女性と、彼女達を訪れる日本人男性達との物語である。もちろん日本に来ている彼女たちと情熱的な恋におち、結婚し子供を授かっている幸せな男達の話ではない。ほとんどが40〜50才台の中年男性で、独身者の場合もあるがほとんどは妻帯者の場合である。妻や子供達という家族や社会的な地位もありながら、なにもかも捨て彼女達のもとへ走る人達が増えてきている。そして身の破滅へと突き進む悲しい男の物語が起きている。
 最近フィリッピンの日本大使館より注目すべき数字が公表された。それによると日本大使館へ援助を求める人達が増えているが、旅券紛失や現地で被害にあったといった理由より、無一文になりお金を貸してほしいという切実な相談が多くなったそうだ。この人達は若いパックパッカーなどでなく、中年の身なりもしっかり紳士が多く大使館で理由を聞くと身につまされるそうだ。
 S男はある町に暮らすサラリーマンであり、45才と仕事にも脂がのりきり家庭にも恵まれていた。忘年会シーズンになり部下に連れられてフィリッピンパブに飲みに行き、そこで彼女ペニーと知りあった。パブでの彼女は陽気でやさしく、たどたどしい日本語で家族のいる故郷のことを教えてくれた。それからほどなくして仕事のトラブルでイライラし、家に帰っても受験生がいるため気晴らしも出来ず、また再びフィリッピンパブに足を向けた。こうして妻には接待だ飲み会だとごまかしてペニーと会い、数ヶ月が過ぎていった。しかしながら彼女と親しくなるにつれ愛しくなり、当然のごとく肉体関係を持つようになった。毎日の生活において妻とは何か特別問題があったわけでもなく、息子の受験のためか2人の間に余り会話がなかった位だった。
 この2人に突然別れが訪れた。ペニーが入国管理局に不法滞在、いわゆるオーバーステイで検挙され、フィリッピンへ強制送還されてしまった。当然2人は言葉をかわす機会もなく、フィリッピンからの電話で詳しい事情を知らされたのであった。ペニーは「あなたを愛している」「会いたい、すぐにこちらに来て」「私はあなたのことを忘れられない」と泣き声で訴えた。毎日かかる電話に、妻に出張だと偽り3日間のマニラへの航空券を手にした。彼女との再会はあっという間に過ぎ、彼はいくばくかの小遣いを渡し別れなければならなかった。こうして妻に嘘をつき、たびたび彼女のもとを訪れるようになり、彼女との故郷での同居を約束してしまった。
 こんなことが長続きするわけもなく、やがて妻に知られることになりフィリッピンへの渡航を止めるように詰め寄られた。しかしこのとき彼はすでにペニーの肉体の虜となっており、妻の激しい叱責は逆に離婚への道を選ばせてしまった。妻と子供に慰謝料・養育費として財産のほとんどを渡し、会社も管理職の地位をも捨て、彼のもとには600万円が残った。「よしこの金でペニーとやりなおそう」と、再び彼女のもとを訪れた。
 ペニーはまさか彼がこんなに思いきった行動するとは思わなかったが、素直に喜んで彼女の田舎をめざした。彼女の両親に挨拶に行くと、ペニーは両親にお金を渡し一緒に住むことを報告した。その日は2人のお祝いをやることになり、両親の家にごちそうが用意されたが、勿論お金の出所はS男であった。やがて親族がつぎつぎにやってきたが、ペニーはその人達にも気前よくお金を渡す。この人は父の従兄、この人は私の従姉、その人数は30人余にもなろうとしている。ペニーに聞くと田舎では出世した人が、親類にお金を施す習慣があるという。夜ふけまで飲んで寝てしまい朝気になってお金を確かめると、もうすでに50万円がなくなっていた。
 フィリッピンの田舎は物価が安く、小さな家なら80万〜100万円で建つが、何から何まで新しく調度品を買うとどんどんお金がなくなった。日本語しかわからないS男にとって働けるところもなく、ぶらぶらしながら彼女との生活を楽しんだ。さすがに2年もすると600万円あったお金も残り50万円を切るようになってしまった。S男も将来を考えると心細くなり、ペニーにお金の使い方を始末するよう言うと、「フィリッピンではケチが一番バカにされるよ」と軽くいなされてしまった。さらにお金がなくなると、あれほど仲がよかった2人がケンカするようになり、ある日ペニーは家出してしまった。こうなると誰も知り合いがいないS男にとって、お金だけが頼りであったがやがてこれもなくなってしまった。
 こうした話はS男に限ったことではなく、フィリッピンの日本大使館によると年々増え続け20〜30人にも及ぶという。一方タイにおいては、日本人の滞在者は5万人を越え、日本村ならぬ日本人飲屋街があちこちにつくられ活況をなしている。駐在員のなかには現地の女性と恋に墜ち、帰国の辞令が出ても帰らない人も多い。こうしてタイで生活する人も多く、日本人相手の仕事をしながら彼女との甘い生活を送るが、日本での家族との生活は見捨てられてしまう。逆に日本人の頂けない話もよく耳にする。現地女性と恋に墜ちるところまでは一緒であるが、2人に子供が出来将来も面倒見ると約束し、突然日本に帰国し音信不通になる卑怯な男も結構いる。仕事柄こうした女性と話す機会も多いが、親元に子供を預け一生懸命生活しているのを見ると、同胞として情けないものだ。なぜ日本の男性は東南アジアの女性に惹かれるのだろうか。戦後靴下と何とかは強くなったといわれるが、東南アジアの女性の気の強さは日本女性の比ではない。浮気に対してもケンカ程度では済まず、殺人にまで及ぶことも多い。なのになぜ彼女らに惹かれるのか、それは非常に甘え方が上手ということだ。日本人は夫から妻へ、妻から夫へ結婚すれば甘い言葉をかけ合うことがほとんどない。免疫の切れた男性が、東南アジアの女性に歯が浮いたような甘い言葉をかけられ、抵抗出来るはずもなく彼女達の虜となる。こんなことを書くと男性諸氏に怒られそうであるが、あえて世の女性のみなさんに事実をお知らせするのは、我々を甘えさせてほしいからだ。
 こういう私も旅が好きで少し小遣いが出来ると、すぐ海外へ出かける。妻は貴男にお金を持たせるとぼやくが、私は常に「貴女はお釈迦様です」と彼女に言い訳している。孫悟空はお釈迦様の手のひらで飛び回ったが、私も貴女の手のひらで飛び回っているだけなのですからと。(安 2007/1)

 

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